高地にある葡萄畑はより良いワインを生むのか。

By 10/01/2015 May 14th, 2015 挿話
Grecanico Dorato grape bunch

限界高度にある葡萄畑についての賛否両論。私たちの葡萄畑を訪れた専門家の友人が、私たちの葡萄はヨーロッパで最も高い場所で生きている葡萄だと指摘した。高度1,100メートル以上に葡萄畑を所有することはふつうのことではないとは知っていたが、健全な好奇心に誘われて、インターネットで簡単な検索をした。

本当に、私たちの葡萄畑はヨーロッパでは高度に関しては極地にあるものの1つである。けれど、高度のチャンピオンリーグで試合をする他の葡萄畑を検索する前に(これはブログの別のところで取り扱われるだろう)、葡萄栽培者が、葡萄の木を高地で栽培するなら、全く向こう見ずな奴と見なされてはならない理由を理解しようとするのは興味がある。第一の要因として、環境の健全さと空気の美しさがある。高いところへ行けば行くほど、居住地域から、スモッグ、塵埃から遠ざかる。塵埃は重量もつので風によって遠くまで運ばれうるが、水平方向のみである。だから、高いところへ行けば行くほど、葡萄畑の空気とエコシステムはより健全なのだ。植物は葉緑素による光合成の過程を進めるために光を必要とする。高いところへ行けば行くほど、光は澄んでいる。実際、一定の高度に達すると、水蒸気と大気汚染の塵埃によるフィルター効果がないので、光は植物に達するまでに進む大気の層が1つ減り、よりダイレクトに植物に達する。

さらに、ことを一般化することがもつ限界をさらに延ばして言うのだが、高地では風通しは良いはずで、風通しがより良い葡萄畑はより健康的な葡萄畑だ。こう言える主なる理由は、この風のおかげで、葡萄の病気の多くの原因となる湿気の停滞から、葡萄畑は間接的に保護されていることになるからだ。これは、孤高のエトナ火山の山腹で見られるようなコンテクストについては、尚あてはまる。エトナ山の近隣の山々、ネブロディ、―明らかにエトナより低い―、は海から来る風流と内陸からの風を遮ることはできない。一般に昼夜の気温差も高地ではより大きい。私たちの葡萄畑でも、ミッレスルマーレの葡萄房を収穫するところだが、7月8月の暑い日には日中、気温は軽く30度を超え、そして夜には10度近くあるいは以下に「暴落」する。農学的条件が同じである場合、成熟期間に昼夜の激しい温度差にさらされた葡萄は香りが豊かであることを証明する多くの科学研究が存在している。

さらに、私たちの場合について言えば、ヨーロッパで一番高い活火山で生産しているので、火山活動が、植物相を養うミネラル分の豊かな火山灰で高地の土を豊かにする。言うまでもなく、高度の高いところに葡萄の木を植樹し世話をすることのネガティヴな面も数多く存在する。エトナ山腹のナヴェ地域に葡萄畑に植樹を始める前に長い間私たちはそれについて熟考検討したが、最終的には「途方もなさ」が勝った。

言うまでもなく、葡萄畑を世話するには、その土地に特有のミクロ気候条件を知り、葡萄の木のこれらの条件に対する反応を知っている専門の人々が必要である。これは、いかなる場所でのいかなる栽培についてもあてはまることである。しかし、条件が極端になる所まで突き進むことにより、相当に問題は幅広くなり、問題軽減に役立つ要因の管理は複雑になる。土地に関する知識の特別な専門家はより重要な存在になる。葡萄は、霰、強雨、あるいは旱魃などの気候上の大きな危険にさらされることになる(サンタマリアラナヴェの葡萄畑では、旱魃の期間では常なる風通しが大気中の湿度を最小まで下げてしまい、房に悪影響をあたえる可能性があるので、根がより一層深く張って成熟期間におこりうる旱魃の月に備えるように、私たちは葉が生える初期に、土地にいくつかの作業を施す)。 約15年かかり細心を払って行われたクローン苗木選別によっても、私たちはこの問題を軽減した。この15年間に、フィロキセラ害を免れた古い木の様々なミクロ気候の現象に対する反応が観察された。仕事の費用は相当嵩む。そこで働く人々、道具は特別な葡萄畑に達しなければならないのだ、「通りすがりに」寄ってみたのではない。

最後に、エトナ山腹の極限の高度で栽培することは、他の地域では知られていない危険をもたらし得る。実際、活火山であるので、クレーターの活動は葡萄に損害を与え得る小石の雨を降らし得るし、また葡萄畑を直接に脅かす噴火の危険は決して無くならない(60万年のエトナの歴史で、「良い」火山ではあるものの、その斜面の農地、住居地に数知れない損害を与えてきている)。だから、葡萄畑を極限の高度で植樹し栽培するには、最大の注意を払うことが必要で、それは相当な危険と費用を必要とする。けれど、最高の気配りと知識で、そして気候の助けによって、結果は格別なものになり得ることは確かである。

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