いつもとは違うエトナ山訪問:アリクディ

By 26/08/2015 September 23rd, 2015 挿話

好奇心、酸素と塩気が欲しい、ちょっとした環境変化の必要、これらが僕たちを自然なままのアリクディに駆り立てた。

ここまでたどり着くのは簡単ではない。連絡便は少ないし、ミラッゾから水中翼船で約3時間かかる。しかし、足を踏み入れるやいなや、別の次元に入る。この古い火山の極上の厳しさによって造形された小さな社会に。事実、アリクディは1億5千万歳以上の火山の表面に現れた部分に他ならない(エトナは約600万年前に生まれた)。

人間に喩えてみるとエトナが18歳の女の子だとすると(シシリアの人はエトナをよく女性名詞扱いする:『ア モンタニャ』)、アリクディは4500歳の矍鑠たる老人だ。アリクディを敬おう。

ここで体験し見るものは、火山の一部分で、表面積は僅かで(5km2)、規則的な美しい形で、標高は600メートルである。残りの部分は、魚と他の4つの一度も表面に現れたことのない火山、エオロ、エナレテ、シシフォ、グラウコ、と一緒に、静かに海中にある。

島はすぐに君を歓迎する、ディスコ、レストラン、5つ星ホテルの受付タイプの笑顔を求めるのではなく、その善し悪しを含め、真正さを求めているなら、島は君にすぐに見せてくれる。小さな港から歩いて2分ほどで、アンナのところに着く。アンナは万屋の所有者で、僕たちの眠る家の鍵を持っている。アンナはとても親切で、夫のエットレと、短い時間で僕たちに島について話をしてくれ、登りはきつく、島には道はなく、階段のみだから、僕らの荷物では家まで着くのは難しいだろうねと言う。アンナはロバを呼んでくれ、荷物と自分が購入していた水の瓶を何本か載せてくれた。

港で、僕たちを家まで案内してくれるグィエルモに会う。登りはとてもきつい。家は港から最も近いものの1つなのだが、ほうほうの体で汗だくでたどり着く。グィエルモは60歳にもかかわらず、平然としている。毎日、生まれたときから、何時間も階段を上り下りしている。テラスからの眺めにはうっとりさせられる。フィリクディ、サリナ、リパリとヴルカノが見える。ストロンボリを見るには霧があり過ぎ、フィリクディをサリナがパナレアを隠している。南は、雄大でまだ雪の積もったエトナがそそり立つ。こちらからは、エトナの北西斜面を見ている、まさしく僕たちの葡萄畑サンタマリアラナヴェとグレカニコドラトとアルバネッロがあるところだ。

グィエルモは僕たちと少しばかり話をし、その話から島を理解する、少なくともグィエルモによる島を。穏やかな男で、『モンタニャ』の野生のケーパーを収穫して家族を養っている。そこでは、ケーパーは誰のものでもなく、朝4時に起きて、正午には特選ケーパー60キロの入った袋を背負って家に戻ってくることができると言う。登るということは、1時間半のとても困難な徒歩を意味する。つまりグィエルモは1時間に約10キロのケーパーを採集することができるのだ。すごい早業だ。

グィエルモは自分の全人生(これはつまりは島での人生だ)を話す。最初は、土地を耕していた、大麦、ケーパー、フィロキセラを逃れた葡萄の木(グィエルモの家族は年約1000本のワインを生産していた)を育てていた。うまくやっている家庭は小さな臼を持っており、ワイン製造をしていた。葡萄の木は白(おそらくマルヴァシア)と赤(多分、コルティノネロ、ネロダヴォラあるいはエトナの僕たちのネレッロ、ネレッロカプッチョとネレッロマスカレーゼ)が混ざっていた。品種は葡萄の粒がとても小さい房をつけるもので、房と葉の叙述から、私たちには野葡萄の一種に思われた。それから、州の援助によって島には羊、牛、ヤギ、ウサギの飼育が導入された。これは、農業にとっては破滅だった。牛は葡萄の木の大部分を食べてしまったが、その後死んでしまった、というのも島の僅かな資源で牛を飼育することは不可能だったからだ(野を燃やして草の成長を促すという野蛮な方法にもかかわらず、だ。このやり方はさらに葡萄畑を破壊した)。ヤギは自分たちの適応力を十分に生かし、野生のヤギになった(人を罵るとき、「おまえはヤギか」というのは理解に苦労する。ヤギはすごく明晰な動物なのに)。今日、島には完全に野生化した約300頭のヤギが生息している。ヤギは、もっともだが、人間を恐れるので、乳を搾ることできない。狩人がたまに2,3頭銃殺し、肉を食べるくらいだ。つまり動物を島に導入することは、先史時代から社会の中心であった、島の農業経済をだめにした。すでに水中翼船から、火山の急斜面に、強引にとでも言おうか、作られた段々畑、小さな肥沃な段、が見受けられる。ほとんど全ての段々畑は完全なる放置の状態である。耕作するには費用が嵩みすぎる。農業はピアノロ(アリクディの火山錐)でだけ、機能していた。そこのモンタニャと呼ばれる地域は先史時代にすでに人間が居住していた場所だった。そこでは、夕方、強い湿気がおり、水をやること無しに栽培が可能である。けれど、動物がすべてを破壊してしまった。アリクディの農業の堕落と他の地域での経済ブームは島住民の一部を移住に駆り立て(人口は、1,000人、ひょっとしたら1,200人、から100人未満、冬は40人、に減じた)、他の住民は漁業を営むようになった。

午前中、好奇心がわき、ピアノロ(火山の内部の錐、最も肥沃な部分)見たくなる。ブレシャ出身の62歳の男性が、どうやってそこに行くかを教えてくれる。その男性は、自分はよくそこに行くし、1時間ほどだと言う。このブレシャの人も穏和で、心の良い人に見える。15年前から島に住んでいると言う。昔はトラックの運転手をしていて、「渋滞に巻き込まれているのに飽き飽きしていたんだ」と語る。ある日、上司に4ヶ月の休職を願った。上司がだめだと言ったとき、そのブレシャ出身の男は辞表を出してアリクディにやって来た。「あのだめだという言葉が、僕の幸運だったんだ。」「ここで、何してるんですか。」「朝、目が覚めたとき、天気だったら、何もしない、島を満喫する、ケーパーと野菜を収穫するんだ。野菜畑をしてるんだ。」エットレの友だちが貸してくれている、空き家だった家に住んでいる。僕たちが話している間、エットレはブレシャの男にパニーノを用意している。

出発する前に、グィエルモに出会う。良い香りのプンプンするケーパーのいっぱい入った袋をもっている。うそじゃなかった。10キロそこそこのケーパーがその袋には入っているだろう。僕たちは登り始めた。本当にきつい登りだ。昔の溶岩流の間に掘られた山道だ。僕たちの前にはフィリクディをその姉妹、僕たちの後ろにはエトナ。登れば登るほど、景色はすばらしくなる。ケーパーの低木がどこにでもあり、島にその名を与えるヒースが咲いている。ヤモリと無毒の蛇。登るのは簡単じゃない、段が不規則だし、ロバの歩調に合わせてあるからだ。多くの家が放置されている。人口がこんなに急激に減ったのだから、当然だ。ほぼ、どの家にも、放置された家にでも、葡萄のつる棚が生き延びている。いくつかはとても大きい、100年ぐらいたっているのか、幹は樹木のそれのように太い。最初の教会(カルメラ教会)を通過し、登り続ける。海の音がする、鳥、かもめ、が飛んでいる。遠くでロバの鳴き声と雄鶏の鳴き声がする。それ以外、何の音もしない。誰かが自分の家の近くに花を植えたけれど、放置してしまった。けれど、花は成長を続ける。その香りで空気を満たすエニシダのように。僕たちは登り続ける。1時間半経ったところで、聖バルトロ教会に着く。その下にある家から人の声が聞こえる。ピアノロまでどれくらい時間がかかるか尋ねる。何も身に纏わず日光浴をしていたドイツ人女性が、身体をタオルで覆い、英語で、早足で1時間半と答える。ブレシャの男は楽観主義だったんだ。僕たちは空腹なので、下に戻る。その前に、聖バルトロ教会の前の、放置されたように見える葡萄のつる棚を剪定することに決める。教会の神父と葡萄の木自身に対する小さな好意。僕たちは下りていく。途中、登ってくる2頭のロバに出会う。まったくロバの名に相応しく、多くの荷を運んでいる。連れている人が革帯を音高々に叩く。登りに耐えているんだろう。この人に健康を祈って、僕たちは下り続ける。港に着くとすぐ、アンナの娘が少なくとも半キロはあるパニーノを作ってくれる。そして、地元の人は登るのに訓練されているので半分の時間で登ってしまうけれど、訓練されていない人は港からピアノロまで少なくとも3時間はかかると言う。アリクディでは時間も異なった意味を持つ。また、聖バルトロ教会には神父はいない、島には年寄りの神父が死んで以来、『新しい』神父は一人も派遣されてきていない、と言う。必要なときは、リパリの神父が来ると言う。

家に戻り、すばらしいテラスで少し休憩する。グィエルモはすでにケーパーを干し、その眺めは目にまぶしく嗅覚にとっては歓喜である。

このテラスで、より家にいる気分がする。というのは、いかなる怖れからも護ってくれる、 遠くだが見ることができるエトナ山の存在のおかげだ。2012年のミレスッルマーレの瓶を開け、エトナに乾杯しよう。僕たちの美しい山、その18歳に、乾杯。

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