働く人々

伝統豊かな背景で人々が織りなす歴史

サンタマリアラナヴェの冒険の本当の主人公は英雄的な葡萄品種である。活火山の高地を怖れることなくよじ登り、激しい気候差に抵抗しながら、それを通じて、自分の房の香りを豊かにする。ナヴェ地域でその野性的肥沃性の極地にあるエトナの植物相背景と地質気候的背景により、私たちの果実が生長するのに健康的な環境が保存されうる。農学者からワイン専門家までの協力者みんなのおかげで、私たちは自然が授けてくれたものを尊重することができる。

ムローネ家の情熱の果実

この冒険では、ムローネ家は、この分野ではありがちな自らが前に踊りでる主人公役を演ずるのではなく、自分たちの葡萄の房とワインに舞台を譲り、これらに語らすことに決めた。家族と葡萄の木の間の愛情はずいぶん古く1956年に遡る。ジュセッペ·ムローネ(ペッピーノ)、エトナ県のレガルブトの礼儀正しい農夫が家族と一緒に、より豊かで安定した生活を求めて、多くの者に倣い、カタニア市に転出した時のことだ。ペッピーノの最初の仕事は、まさしくエトナ山山腹であり、ザッフェラナで葡萄の収穫をすることであった。ペッピーノは火山質の土地の肥沃性、葡萄畑の豊饒さ、房の輝きに魅惑された。葡萄畑とエトナとペッピーノの関係は、それから、シシリーに残った一人息子が1980年にヴィアグランデ村のエトナ山山腹に土地を買った時まで、何年間か続いた。一人息子は、疲れを知らない労働者がシシリーからいなくなるほどの大きな移民の流れを“免れて”いたのだ。

購入した土地にはネレッロマスカレーセ種とネレッロカプッチョ種の小さい葡萄畑が存在していた。ペッピーノムローネは愛情をこめこの畑の世話に何年間か献身し、最初の何年間かの収穫と手工芸職人による魅力的なワイン製造に参加した。この情熱と敬意は、実際の例でもって、遺伝子だけによってではなく、ベッピーノの将来の世代に伝達され、今日、サンタマリアラナヴェのプロジェクトを支える精神である。今、ワイン製造の技術はより近代的で、効率的であるが、葡萄畑の世話、葡萄の木の周囲での挙動は今も同じである。房を収穫は、今日も昔のように、手作業で、当時の慎ましさと平穏さをもって、葡萄の粒1つ1つを尊重しつつ、最大の注意を払って行われる。だから、主人公が交替しても、ムローネ家は舞台裏に残り、サンタマリアラナヴェが生気を得ているところの中心的価値を護り保証している。ペッピーノおじいさんの良い手本から学ばれた価値である。

ベナンティ家との協同

このプロジェクトでは私たちは、重要な経験を有する家族ベナンティに支えられている。二家族間の同意は信頼と30年を越える友情と私たちの立派なエトナに対する共通の愛情に基づいている

エンゾ•カリ:土着のワイン専門家

サンタマリアラナヴェでは、ワイン製造を、品種の性格とその年その年の特徴を尊重する、あまり侵害的ではない過程と理解している。この哲学は、ワイン製造ベナンティのディレクターであり技術者であるワイン専門家エンゾ·カリによって完璧に実行されている。エンゾ(1975年生まれ)は、ワイン専門家とワイン技術者として15回の収穫を豊作にしている。農業従事者の息子で、生まれた時からエトナの農業と腑的なつながりを持っている。

幼い時から、収穫とワイン製造に魅了され、この魅力はエンゾをすぐに夢中にしてしまった。まず学路の選択そしてエトナワインのワイン専門家という職業の選択に導かれることになった。

エトナワインに一生を捧げかねないエンゾである。有名なワイン専門家、研究者と協同してきたし、主にネレッロマスカレーセ種のワイン製造、そしてクラシック方式による、エトナ土着の葡萄を使って発泡性ワイン製造の様々な実験プロジェクトを行ってきている。さらに、すでに10年来、酵母菌の元種の選択に関して研究している。エンゾの手からエトナ周辺で最も貴重にされているワインのいくつかが生まれた。けれど、エンゾは自分の製品の成功の基盤にある、同一の材料を適用し続けている。それは、重労働、愛情、葡萄とその歴史に対する尊敬である。

エンゾはいつも言う「ぼくの経験と熱意をぼくが管理をしているワインに伝達しようとするんだ。色、香り、味において品種、原産地そして収穫年が反映されている時のみ成功だと思う。ぼくは自然を変えないし、化粧的プロセス下にはおかない。自然をぼくは尊重し、自然がぼくのワインから呼吸するようにするんだ。」エンゾが私たちのワインの世話をしてくれるので、光栄なことである。

ヴィンチェンソ•アヴェリーナ:葡萄畑の世話

葡萄の木という植物は、全ての生物と同様に、生命力が発現できるように、その性質と環境ができる限り尊重されることを必要としている。そのため、土地固有の気候、地質ならびに植生についての知識が豊満で健康な葡萄の房を生産するには決定的である。

私たちの葡萄畑の世話は20年以上前から知っているヴィンチェンソ·アヴェリーナの経験に任せられている。私たちの葡萄の木から少し離れた近くの村マレットに生まれ、今も尚そこに住んでいる。私たちのグレカニコドラト種と同様、土着である。ヴィンチェンソは常にナヴェ地域とグレカニコドラト種に関わってきており、その生物学的周期、様々な気象現象に対する反応、異なる剪定に対する反応を熟知している。

踊りがうまいことでマレットでは知られ、マッゾラと呼ばれたサルヴァトーレ·アヴェリーナの息子であるヴィンチェンソは既に幼少の頃から収穫に参加していた。父がラナヴェより高いところに小さい土地を所有し、約700本の葡萄の木、その大部分はグレカニコドラト種(エトナのある地域では今でも、その房の長い形状と赤みがかった色合いのため“コダディヴォルペ”(狐の尻尾)と呼ばれている)を育てていた。当時、収穫の日にはマレットの住民は必要な道具全てを持ち、家族全員を連れて、ロバあるいは馬で村を離れた。葡萄は、今日と全く同様に、手作業で収穫され、パナリと呼ばれる籐のかごに入れられ、クフィニと呼ばれるさらに大きな籐のかごに移される。ヴィンチェンソは今日でも、私たちの収穫時にいくつかのクフィニを持ってくる。1つのクフィニは収穫に使用される箱6個分、つまり100キロ以上の葡萄、に相当する容量をもつ。

このようにして、50年前、マッゾラはロバに乗り、往路はその日のための食糧でいっぱいのパナリを載せ、2つのクフィニをロバの両側にそれぞれ1つずつ下げ(それぞれのクフィニには2人ずつ子供が乗っていた)、マレットから出発した。マッゾラの妻は、当時の女性がみんなしていたように、収穫時には夫を助けた。2人で乗ると負担が大きすぎるので、ロバには夫と交替して乗った。上りのときは、道程を少しでも楽にするため、よくロバの尻尾に片手を結びつけ、ロバに引っ張ってもらった(ここから”accodarsi 後に従う”という動詞が来ているのか?)。ヴィンチェンソは、兄と一緒にクフィニに乗り合っていた。帰路では房を近くのひき臼に持って行き、少なくとも4人の力を必要とする槌での手作業による圧搾を始めた。

それは、重労働の一日であったが、同時にみんなのお祭りであった。農民の文化では、いかに収穫の思い出が、何十年も隔てた後でも消えないで残り、当時の喜びでまだ生き生きとしているかに気付くのはすばらしいことだ。今日、私たちの収穫についても同じことが言える。重労働と緊張の一日だが、喜びと葡萄畑とその果実と触れ合う一日である。

ナヴェ地域での最初の収穫から何十年も経った。その間、ヴィンチェンソはシシリアの最良のワイン会社のいくつかで働いてきたが、ラナヴェに対する深い想いは変わっていない。私たちが有する知識、技術は確かに広範に及ぶが、ヴィンチェンソは、妻のマリアそして息子のサルヴァトーレとアントニーノに支えられ、マッゾラが半世紀以上前、“狐の尻尾”種の木から最良のものを得るために使っていたのと同じ規律と伝統を尊重しながら、サンタマリアラナヴェの葡萄畑の世話をしてくれる。ヴィンチェンソのおかげで、私たちのところでの収穫も喜ばしいお祭りである。

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