
僕たちの友人、ジャーナリストのサンシャイン·リシヨコ·デ·レオン、は何度も僕たちのところを訪問した後、この素敵な話を送ってきた。サンシャインを www. sunshinedeleon.comで追おう。(サンシャイン、君の写真をここに載せたけど、いいよね。)
シシリーの人の目を通して、シシリーを探索する以上のことはない。シシリーの人々は称賛に値する伝染的な熱情をもって、自分たちの島を知っており、愛している。愛にしろ憎しみにしろ、極端な熱を傾けて、シシリー人と南イタリア人は行動する。そしてシシリー人は自分たちの故郷を愛している。
私たちがたった2,3日の間であったが、見、味わい、感じ、経験したことは、私の感覚メモリーにとても深く刻み込まれ、目を瞑ると、実際に私はまだそこにいる。
田舎を車で走っている。どこだかは覚えていないけれど、見るもの全てに対しての、大きく目を見開いた私の興奮は覚えている。車の窓から、私の周囲にある溢れるばかりの花、樹木、果物、色そして自然を指差しながら。どこを見ても、右、左そしてその間、異なる度合いの緑があった。「すごい、知らなかったわ、シシリーでは何でも育つのね」、これが、うっかり私の口から出たのを覚えている。
人生においては、決して忘れることのできない時がある、というのも、疑いなく完全に『その時に我を忘れ』、解放されたと感じたから。エトナ山の埃まく曲がりくねった道で四輪バギー(ATV) を運転していた時は、そんな時の1つだった。私の親友は、私がこんな道を ATVで走れるんだろうかと疑問に思いながらも(本当に心配していたのではない)、じっと黙って私の後ろに座っていた。さわやかな風が私たちの髪を吹き飛ばし、私たちは埃まみれになった。私にとっては、それは歌を歌う最良の時であった。私たちは題あるいは歌詞に『風』あるいは『山』という言葉が使われている歌を考えられる限り歌った。私たちは、お互い、相手が歌っているのを聞くことはできなかったけれど、エトナは聞けていたと、確信していた。私のお気に入りはもちろんクリストファー·クロスの “I’ve got to ride, Ride like the wind, to be free again”であった。とても、生き生きとして、私たちはどこでもなく、あらゆるところへ走行していた。心底から笑いながら、そして火山も私たちと一緒に笑っているのを知りながら。
何を食べるのにもそれにふさわしい時と場所がある。ピザを食べるのが火山を探索した日を終える最適なやり方だということになる。風変わりで、心地よいレストランが暖かな輝きで私たちを歓迎してくれたのを今も思い出せるし、ピザをかじればかじるほど、もっと食べたくなって、食べたことを思い出す。そこにはワイン、エトナのワインがあった。
シシリーの人々は、正反対のことの混ぜ合わせである。他の文化に対して開放的で、快く受入れ容易に融合する一方、誰もがシシリーを征服したがったので、猛然とお互いを護り合う。また、いかなる規則も政府もひどく真剣には受けとめない。シシリーの言語もとても異なっている。私は、男性器が女性名詞で女性のそれは男性名詞であることを知った。
ワインと想像できる限りの全ての果樹が育つ『裏の庭』。とても古いので、時間そのものの起源にみえるオリーヴの樹。夜にのみ花を咲かし生き生きし、夜明けとともにその美しさを隠す、ペルー原産のベッラディノッテ。軽い警告とともに出てくる果物—熟した桑を食べるなら、気をつけなさい、さもないと紫色で手が染まってしまって、それは若い桑の実で洗わない限りとれないからね。シシリーのアーモンドミルク、ブリオッシュと食べる、ホームメードのグラニタアイスクリームを毎日配達してくる男、どんなフレーヴァーを食べたいか考えて、それはそこにあるのよ、桃、レモン、桑。薔薇には目的がある。葡萄の木の列は薔薇の茂みに護られている。薔薇は不可欠なのだ、というのも、とても病気に敏感なので、葡萄の収穫を脅かすものに対する『警告ベル』としての役割を担っている。そう学んだことを私は決して忘れないだろう。大切なことを発見した後、午後はハンモック、そして爽やかな海に浮かぶ。こんなに多くのことを見せてくれる島をどうして愛せずにおられようか。
サンシャイン·リショコ·デ·レオンは過去7年間、フィリピンのマニラでフリーランスのジャーナリストであった。
ガーディアン、アジア·フォルベス、CNN.com、Globalpost,com、 Time.com、 USAトゥデイ, NBCnews.com と LAタイムズなどに記事を書いている。
サンシャインはPRI/BBCの『The World』そしてBBCアウトルック番組のラジオキャスターでもある。
レポーターでない時は、外国のテレビ、CNNやNBCを含む、のために働いている。また、プロドューサーとしても、BBCラジオ、オーストラリアSBS、ヨーロッパの芸術チャンネル、アメリカ公営放送局の外国ドキュメンタリーチームのために働いている。